ショッピングモールやイベント会場などで突然人が倒れたらどうするか。
すぐに119番通報するとともに、店や警備員を呼ぶという選択をする方も少なくないでしょう。
バイスタンダーがCPR(心肺蘇生)を行っていると、その施設の警備員がやってきたので、これで心肺蘇生を手伝ってもらえると思ったら……警備員は無線で連絡するのみで、救命処置に手を貸そうとはしなかった…。これは実際にあった出来事です。
人の生命や財産を守る使命を担う警備員であれば、皆、心肺蘇生のトレーニング等を職場で受けていると多くの方は思うでしょうが、普通救命講習程度のCPRすらできない警備員や、そのような研修をまったく行っていない警備会社が多数存在するのが実態です。
ブレイブハートNAGOYAではいくつかの警備会社の警備員に対する傷病者対応トレーニングも担っていますが、このような会社の方が実は珍しいといえると考えています。
日本の警備員に傷病者対応トレーニングの義務はない
警備員に対する指導教育の義務は、警備業法第21条で定められており、その下位法令たる警備業法施行規則の第38条において、教育の必要項目や最低時間数が定めてられています。
CPRやファーストエイドといった傷病者対応トレーニングは、法定教育項目の「事故の発生時における警察機関への連絡その他応急の措置に関すること」に含まれるものではありますが、当該項目の詳細内容は警備業者が独自に定めることから、そこに傷病者対応を含めなくとも警備業法違反となることはありません。110番通報や消火器の使用法に関する研修を含めておけば、法的には十分なのです。
昨年同規則が改正施行され、法定教育の最低時間数が以前の約6割にまで減らされることとなり、教育水準低下を懸念する声も上がっています。
もっとも、傷病者対応トレーニングは、法定警備員教育に無理やり算入する必要はなく、職責を踏まえ別途実施されればよいものですが、様々な理由から適正に実施されないことが少なくありません。
国家検定資格者でもCPRトレーニングの義務はない
我が国の警備業には、全6種別の警備業務について筆記試験と実技試験を行い、警備員の技能を認定する国家資格たる「検定」制度があり、特定の業務はこの資格を有した警備員を一定数配置する法的義務もあります。
当該資格取得のための講習運営機関のテキストはいずれもCPR等を取り上げてはいるものの講義で多少触れるのみであり、実技試験科目には搬送法の一部や三角巾止血などがあるものの、成人に対するCPRやAED使用は含まれておらず、受験や資格申請の要件にも救護関係資格等が求められることもありません。
民間資格たる「防災士」や「防災介助士」などがその資格申請時に普通救命講習以上の講習修了証等を要求しているのに、人の生命を守ることを職責とする警備員にそれが要求されないことには疑問を感じますが、警備業の監督官庁が警察庁であり、公安委員会規則により同試験が実施されていることから、防災面や救急面の充実はこれからも難しいといえるかもしれません。
他方で、警備の依頼者が、警備員による高水準の傷病者対応を求めていないという実情もあります。
民間の警備サービスはクライアントとの民事契約に基づき、その仕様に基づき行われるものですから、クライアントからの要求以上のことは基本的には行いません。
傷病者発生時の対応要求を「普通救命講習程度の応急処置」としている場合もあれば、警備員は119番通報や救急隊の誘導に徹し、傷病者への直接的介入は行わないとしているケースもあるようです。
現実的には非心停止対応トレーニングが欠かせない
集客施設であっても、心停止傷病者が発生するのは稀なこと。
だからCPRトレーニングをしなくてよいというわけではありませんが、警備員が実務上遭遇する傷病者のほとんどは非心停止。現職の警備員の方々に現場で悩んだことを聞いても、「心停止ではない人に何をすればよいのかわからなかった」と答える方が少なくありません。
非心停止傷病者に警備員ができることには限りはあるものの、「救命の連鎖」で掲げる「心停止の予防」を成し得るためには、非心停止傷病者対応に係る一定水準のスキルが望まれるところです。
米国では、労働安全衛生局OSHAが定める基準に適合した資格を保有している者を、一般の事業所であっても一定数配置しなければならず、特定の職種においてはさらに厳しい基準が定めているほか、州の規定等によっては、教職員等は有効な当該資格を保有していないと業務に従事できなかったり免許が更新できなかったりもあります。
警備員も定期的なCPRやファーストエイド、血液感染対策のトレーニングを定期的に受けていることから、日本の警備員とは保有スキルが大きく異なることでしょう。
ブレイブハートNAGOYAでも展開している、アメリカ心臓協会AHAの「ハートセイバー」シリーズは、このOSHA基準に準拠した傷病者対応トレーニングです。
感染防止対策の普及が現場の警備員を守る
すべての傷病者対応に感染リスクがあるとして、手袋などの個人用保護具(PPE)を装着したうえで傷病者対応を行う「スタンダードプリコーション」は、看護師や救急隊員等には当然のこと。これは医療の専門家だけでなく、傷病者対応にあたるすべての人が持つべき考えであり、普通救命講習でも説かれる「自身の安全を確保したうえで救助を行う」にも通じるものです。
集客施設では週に数回ペースで傷病者が発生することもあり、そこで勤務する警備員も相当数傷病者対応を行い、その中には嘔吐や出血がある傷病者もいるものの、警備員の感染防止策は十分とはいえません。
会社の装具品として感染防止手袋や人工呼吸デバイスを用意しているところはほとんどなく、知識や意欲がある警備員が「これはまずい」と自主的に備えているケースも。
そればかりか、傷病者対応の際は白手袋(普段業務で着用している礼装用の白手袋)を着用すると指導している会社もあるそうで、「手袋が血でベタベタになりながら対応した」「会社に専用手袋の備え付けを訴えても変わらなかった」と話す受講者(現職警備員)もいらっしゃいました。
また、住居からの異常を示す信号を受信し、警備員が現場に駆け付ける形態の業務においては、靴を脱いで居室内に進入し、そこで嘔吐や出血がある傷病者に遭遇することもありますから、業務の形態によっては、手袋だけでなく、シューズカバーなどの保護具も必要となります。
(※赤いものはインクです※) 秋葉原通り魔事件の傷病者にB型肝炎感染者がいたことが後に騒ぎになったように、傷病者対応には血液感染リスクが潜んでいるのですが、日本の非医療従事者層には十分な教育がなされておらず、感染防止対策は軽視されていると言わざるを得ません。
米国では、血液に触れる可能性があるすべての職種に年1回の血液感染対策研修が義務付けられているほか、感染対策に関する会社の義務や、個人用保護具の備え付けなども定められています。
参考(過去ブログ) 0008 米国発の労働安全衛生講習・ハートセイバー血液媒介病原体コース https://www.qq-bh758.com/post/_0008
現場の警備員の安全を守るためにも、会社の経営層や管理者層等が感染防止に関する見識を深め、必要な資機材の備えや、現場警備員に対する教育を行うことが望まれます。
なお、人工呼吸時の感染防止対策については、こちらの過去記事をご覧ください。
参考(過去ブログ)
0005 人工呼吸は不要!という安易な言葉が救命率を下げる
職務の特性をかんがみれば、人工呼吸の省略は不適切ですし、人工呼吸デバイスも、感染防止効果や耐久性の低いフェイスシールド(キューマスクやレサコなど)ではなく、ポケットマスクの使用が望まれます。
まずは指導者層のレベルアップから
警備員に対する教育を管理する立場に「警備員指導教育責任者」があり、所定の講習を受けてから試験に合格した者が資格を手にしますが、この資格教本に掲載されている救急法の内容は現行の「救急蘇生法の指針」に準拠しているものではなく、指導者層が不適当な知識を覚えてしまうという問題もあります。
また、先述の「検定」の教本に記載の救急法も、一般市民を対象としている普通救命講習の内容レベルのものであり、業務として傷病者対応にあたる警備員には内容が不足しているといえます。
とはいえ、これらの教材作成等を担う業界の指導者層も、対応義務者たる警備員にふさわしい傷病者対応を学ぶ場がないのが、我が国の救急蘇生教育の現状。(過去ブログ記事をご覧ください)
参考(過去ブログ)
0002 ブレイブハートNAGOYAの講習展開
0003 対応義務者の救命処置トレーニングと法制度
0004 対応義務者の救命処置トレーニングの指導者
警備員のスキル不足の背景は、我が国の救急蘇生教育の構造そのものにあるともいえるのですが、それを嘆くだけでは何も始まりません。
この記事を警備業関係者がご覧になったのであれば、是非次の点を踏まえ、ご自身の活動領域における傷病者対応トレーニングの改善を図って頂ければ幸いです。
それが「人の生命・身体・財産を守る」という警備業・警備員の使命を果たすことに繋がり、「救うことができたはずの命」を減らすこととなります。
1.警備員は職務上傷病者対応の義務や責任がある立場であり、一般市民以上の対応が本来要求される。場合によっては責任問題となる。
2.傷病者対応の機会が多い分、感染リスクも高まる。少なくとも感染防止手袋を携行し、対応時には必ず着用させる。感染対策に関する教育も必要。(医療的観点だけでなく、労働安全衛生の観点からも)
3.善意で救助を行う一般市民向けの普通救命講習では、対応義務者たる警備員には内容が不足している。対応義務者向けに設計された講習を採用することが望ましい。(AHAのハートセイバーシリーズなど)
4.CPRだけでなく、非心停止領域の対応(傷病者アセスメントやファーストエイド)トレーニングも取り入れることがベスト。
対応義務者の資質の向上を主なテーマとするブレイブハートNAGOYAでは、警備員の傷病者対応スキルの向上にも力を入れています。
CPRやファーストエイドの手技のみならず、資機材の備え付けや現場の管理といった一連の活動を踏まえたシミュレーショントレーニングなどを提供できるのが、私どもの強みです。
プレホスピタル領域で発生した傷病者の社会復帰のためには、現場に居合わせた非医療従事者による救護が欠かせません。
その中でも、人の生命や財産を守ることを直接的な業務としている警備員の傷病者対応スキル向上は、今後の我が国の救命率向上に大きな効果をもたらすことでしょう。
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